その日もひと通り飲んだオレは、帰り支度を始めた。
「お早いんですね」
この店のアイドルである若い女性バーテンダーが、名残惜しそうに(オレの思い込みかもしれないが)、声を掛けてきた。
「明日はちょっと早いんで、残念だけど今日はこれくらいで帰るよ」
だが、こういう時に限って、決まって何かが起こるものなのだ。
「あらー、もう帰るの?」
たまに深夜に来る、近くのスナックのママさんだ。オレよりも年上でオレよりも豪快である。
「ママこそ、今日は早いんじゃ…」
「9月ってヒマだからさー、○△×□●☆▲…」
早口過ぎて、酔っ払ったオレの頭脳では何を言っているのか判別できない。誤解しないでいただきたいのだが、基本的に女性は苦手ではない。だが、中には例外もある。いや、この際女性であるかないかは本質的な問題ではない。とにかく、ママは喋り続けるのである。
そんな感じで困惑していると、マスターが注文していないカクテルをカウンターに差し出した。
「ベルベット・ハンマーです」
ブランデーの風味、カルーアの甘さ、秋の夜長にはピッタリの味だ。
「ベルベットのようになめらかで美しいけれど、ハンマーでKOされるかのように酔ってしまう… か」
「何か言った?」
「いえ、なんでも」
「まあ、もう一杯飲みなさいよ」
「ベルベット・ハンマー」は寝る前の一杯としてもおなじみらしい。オレはママに答えた。
「もう、寝酒を飲んだので(笑)」
オレは颯爽と(逃げるように)帰るのであった。
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